Category : 本
『小説・新撰組』童門 冬二
混迷の幕末。将軍警護のため、近藤勇は土方歳三、沖田総司ら「試衛館」一門を率いて京都に赴く。新撰組を結成し、尊攘過激派が集結する池田屋を急襲、一躍京に名をはせた。「誠」の隊旗を掲げ、落日の幕府に殉じた新撰組。その精神の支柱になったのは、士道を忘れぬ鉄の規律だった。
「新撰組が行く」を改題。
亡き継父の書棚 普段は注目しない三段目に 池波正太郎の『忍びの女(上・下)』と共 ひっそりと収まって在った一冊。そして僕にとっては初めての新撰組作品である。
著者:童門冬二には 同じ “全一冊シリーズ” の『小説・直江兼続 北の王国』以来好感を抱いてきた。しかしながら池波正太郎の忍びモノと並んでいたなら 当然そちらを選んで然るべき 僕は大の眞田贔屓である。そこを敢えて全く未知の新撰組でゆくことにした理由には 第一に僕の生涯の大半が彼らの故郷に当たる多摩丘陵に送られているということ ここらで彼らに目通りしておくのも悪くはなかろうという心境の変化があったこと そして何より そのクセ彼らには現在まで全く何の関心も抱かぬ儘過ごしてきた自分の内部に初めて疑問を感じたこと が挙げられる。
作品は実質570頁弱に渡る長編時代小説だ。新参なりに少し調べてみたところ 内容は概ね(新撰組側に立った場合の)定説に沿って展開されており その中に “車一心” という架空人物を配してある。この「時代の腰巾着」とでも称ぶべき卑屈な浪人は 物語の冒頭 近藤勇が主を務める試衛館へ道場破りとして登場。以降 徹底して近藤ら旧試衛館員と対立する側に身を泳がせつつ ほぼ全編に暗躍する。愛すべき人物では在り得ないながら 勝ち負けや損得とは無縁の処で士道を貫かんとする新撰組とは絶好の対比を為して 効果的/印象的な登場人物ではあった。
又前出『直江兼続』同様 生粋の東人が描く日本各地の人物 とりわけ京の人間の気質には独特の解釈が見え隠れして興味深い。これも本作の特徴と言えるかも知れない。
物語は 来る将軍上洛警護の為の浪士隊公募に応じる決意を 近藤が多摩の試衛館員にて門下一同に宣言するところから始まる。以降 明確な立場の無いまま京の都の警備に励む新撰組の 内紛やそれぞれの恋物語や会津藩との信頼関係 薩長両藩の不透明な動向 幕府の時代への認識不足などをざっと描いて 著者は幕末という時代のあらましを我らに語ってくれる。池田屋騒動辺りで筆圧は最も強くなり その後は殆ど一足飛びに幕府滅亡までワープするかのようで その間にある近藤の処刑も沖田の病没も土方の戦死も 極々あっさりした語り口だ。それ故 新撰組作品としてはどうしても尻窄みな印象は拭えないところだろうが 元々主人公格の死に当たっての長口上や大立ち回りが好きでない僕にとっては 時代の概要と新撰組の輪郭が知れればそれで充分:二晩費やし読破しても 一向に彼らへの親しみも愛着も共感も見出せては居ないのであった。
此は一体どういう道理からなのだろう。
僕は生まれこそ違えて居ても 3歳から24歳まで そして36歳以降現在までという長い年月を 新撰組の故郷である多摩丘陵に過ごしてきた。言うなれば新撰組は「郷土の士」であり 何処の土地でもそれが普通であるように 「郷土の士」とは「我らがヒーロー」と直訳して何ら不自然は無い生活環境に たった今だって在る筈なのに。
作品では 新撰組が最期まで不利な(と言うより暗愚な)徳川幕府に尽力して逝った理由として 「多摩農民の魂」と「八王子千人同心の志」を掲げている。其れは作中 近藤の口から 土方の口から 幾度も幾度も繰り返される。物語はそう力説していても 僕にはちっともピンと来ない。全然しっくりしない。農民の出だからこそ 純粋で強固な理想の武士像を抱き続けられたのだというのは理解出来ても 例えば「多摩農民としての誇り」という意味合いには何も賛同する処がない。寧ろ僕の知る多摩地区は 高層集合住宅目当てに全国から殺到した烏合の衆の土地であり 其処には郷土愛や民族意識など欠片も感じられないのだ。
一方 “八王子千人同心” とは 武田家滅亡後に家康が召し抱えた武田家遺臣を中心に構成された。家康は甲斐からの江戸への入口として八王子の地を重視し そこへ半士半農の徒として彼らを据え 周辺警備に当たらせたということである。在来農民も多く混ざって居た為 多摩地方一帯には農民層にまで徳川恩顧の精神が行き渡ったらしい。
15代260余年もの間養われて在れば たとえ武田遺臣の子孫で在っても 主たる徳川には恩を感じずには居られないだろう そうは想っても 「だが武田を滅ぼしたのは織田徳川連合軍ではないか」と語気を強めてしまう 僕は大の眞田贔屓で在る(笑)。徳川は何処までどう行っても仇敵なのだ(再笑)。其れに尽力して逝く新撰組とは「乃ち敵ではないか」 そういう思いが現在の僕の 彼らへの冷淡な態度に加勢しているのは否めない。
けれども 其れと此とは別問題である。そもそも もし僕に “多摩農民の魂” と “八王子千人同心の志” が生きて根付いていたなら 徳川恩顧たる僕が敢えて主家にとっての毒虫:眞田氏に味方することもなかっただろう。守るべきもの/誇れるものを有する土地を求めて 多摩地区を離れ一時期を横浜の港に拠ることも無かったかも知れない。現在とは全く違った僕だったかも知れない。
一体 多摩の農民は何時魂を棄てたのか。何時徳川の恩を忘れたのか。何故現在の多摩地方には武芸の精神が伝導されてないのか。何故もっと自由民権の志に熱い市民でないのか。それら総て 新撰組の生きた時代にはこの地方一帯の誇りだった筈である。それとも新撰組と共 多摩農民の魂も死んだのか。
多摩の民は 旧き精神の伝導と継承より 高層集合住宅の林立と周辺商業の活発化を採ったのだ。背後に繰り広げられて在る歴史より 眼前とその先に展開されるであろう歴史を夢想したのだ。高度成長と中産意識に煽られ高層住宅に群がる移民を節操なく受け容れ続けるうち 本物の多摩農民など居なくなってしまった。今 僕の周辺には何も遺ってはいない。デパートや公立校の残骸 沢山の空室 そして老人ばかりである――大きな罪だ。
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『密謀(上・下)』藤沢 周平
織田から豊臣へと急旋回し、やがて天下分け目の “関ヶ原”へと向かう戦国末期は、いたるところに策略と陥穽が口をあけて待ちかまえていた。謙信以来の精強を誇る東国の雄・上杉で主君景勝を支えるのは、二十代の若さだが、知謀の将として聞える直江兼続。本書は、兼続の慧眼と彼が擁する草(忍びの者)の暗躍を軸に、戦国の世の盛衰を活写した、興趣尽きない歴史・時代小説である。
秀吉の遺制を次々と破って我が物顔の家康に対抗するため、兼続は肝胆相照らす石田三成と、徳川方を東西挟撃の罠に引き込む密約をかわした。けれども、実際に三成が挙兵し、世をあげて関ヶ原決戦へと突入していく過程で、上杉勢は遂に参戦しなかった。なぜなのか――。著者年来の歴史上の謎に解明を与えながら、綿密な構想と壮大なスケールで描く渾身の戦国ドラマ。
購入当初の第一印象は どうした訳か非常に取っ付きにくかった。ところが機会を改めて臨んでみたなら その第一印象を抱いたことさえ忘れてしまう。
それでも 読了までには常より長い時間を割いた。内容が難しかったから とか つまらなかったから というのではなく 極めて端正な文脈へ対峙するに当たり 此方も相応の礼節を保ち続けたからだ。
直江山城(と景勝公)の足跡を伝える作品としては 取り立てて目新しい内容ではない。殊更詳しい訳でも 新たな像が披露されるのでもない。歴史的事件で言えば 小牧長久手の戦い辺りから徳川家への降伏決断まで が物語の舞台である。直江山城を知る上で凡そ欠かせないと思われる 謂わば山場だけを綺麗に切り取って額へ収めた眺めにて 入門書としても宜しかろうという具合だ。
なので 僕の評価は実質的な内容に対するものではない。
作品には先ず大名とその家臣・忍び・剣客が登場するのだが その何れへも同等の筆圧でもって仕事が進められている様は秀逸である。著者に独自の思い入れというのが 紙面からは一切感じられない。一作読んだだけでは 此の人が本来どの分野をホームラウンドにして居るのか判らないだろう:僕には判らなかった。 “冷静” “理性” “客観” 或いは“相対” と言うのに丁度の作風である。そのクセ 例えば童子に特有のナンセンスな言葉遣いなどは 夕日に映える紅い頬が見えるほどなのだから感服してしまう。
かつて拙文の中で 「仮に新田次郎を『上手い』とするなら 池波正太郎は『旨い』」と惟う旨を述べた。倣って言うなら 藤沢周平は『巧い』だろうか それとも『美味い』か。――何れも此の書き手の文脈には華美に過ぎる表現と思われる。僕には本書が初めての藤沢作品であるが 其の均整のとれた構成と共に 丁寧に紡がれてゆく文脈の様には 軽い感動を覚えたほどだ。今 久しぶりにキチンとした文章に触れた という清々しい思いがしている。
一言で言うと 「とても丁寧に作られた松花堂弁当」という感じ。素材選びに始まって 調理・盛り付けまで途切れることなく精神を注ぎ込まれた一品ずつは 其れのみでも充分在り得るものたちである。それらが一つ箱に収められて醸す 上品で静かな 悠然たるハーモニー――そういう食後の 清楚な満足感に似ている。
『火の国の城(上・下)』池波 正太郎
たくましい裸体である。体を流しに洗場に入ってきた湯女が目をみはって「ま、りっぱな体わいの」感嘆の声をもらした。湯女の乳房が男の頭の上でおもたげにゆれている……この男こそ、関ヶ原の戦いで討死したと噂されていた忍者丹波大介であった。五年後のいま京の風呂屋で彼の横顔を見た別の客が、驚きの表情を浮かべた。
闇がにおっている。春のにおいなのだ。「あっ……」さすがの大介もあわてた。こうまでも敵の術中にはまりこもうとは。刃と刃の噛み合う音が烈しくおこり、三つの影が目まぐるしく飛びかう。小たまの絶叫があがった。大介の一刀に左腕を斬られたのだ。転瞬、切りつけられた大介の体が仰向けざまに倒れた……。
久しぶりに読書をする。これも久しぶり 池波正太郎の忍びモノ。亡き継父の書棚に並んでいるのを拝借してきた。試みにパラパラさせてみたなら “真田昌幸” の名が見えたからだ。だが どうやら眞田作品ではなさそうである。「今度の忍びは 誰の御為に働くのかな……」 一寸他の作家相手には湧かないようなワクワクとした心地が 僕の此の作品への馭者となった。
主人公:丹波大介というのは 甲賀忍びの出で在りながら関ヶ原の合戦にては我らが眞田忍びとして西軍の為に働き 大御所の身辺まで肉薄した手練の男だという。「だという」と言うのは 彼は先に『忍者丹波大介』という別の池波作品にて 堂々主役を張って居るのだそうで 生憎僕は未読ながら 大の池波小説ファン 或いは忍者小説ファンにとっては 既に馴染みの深い存在だろうと想われるのだ。5年前の関ヶ原戦で壮絶な討死を遂げたと伝わる彼を 作品導入部にて京の風呂屋に目撃するのが これまた同合戦で死んだと信じられて居る眞田忍び:奥村弥五兵衛なのである。
――この辺り 導入部にて既に 実に旨い。且つ豪華である。「ファンにとっては堪らないセッティング」とは 池波作品の解説者が異口同音に書き立てる処であるが 全くそれ以外に言いようがない。或いは此の作品が 一個の独立した長編小説であると同時 (解説によれば)『夜の戦記』―『蝶の戦記』―『忍びの風』―『忍びの女』―前述の『忍者丹波大介』と一連を為す作品:連作小説であることが そのような設定を生んだのだ そう解釈をする向きも在るだろう。だが僕はそれ以前に 此の書き手が相当のプロ意識を備えて居たのだろうことを感じるのだ。ファンを悦ばせる方法を識って居り それを為すことを忘れず 惜しまない。それは取りも直さず 大衆から好んで読まれて在ること 其の自覚がある ということである。そのような作家としてどのような仕事を為すべきなのか 即ち己が責任を自覚して在る ということである。勿論そればかりでなく 純粋に大家としての自信もあっただろう。自信と自覚とに満ち満ちて差し出された手を だから読者は正に大船に乗った気分で取り これより繰り広げられるだろう戦国浪漫へと 悠々漕ぎ出して往けるのだ。このような不思議な信頼感を抱かせる作家を 僕は他に識らない。
さて ではそんな豪華なセッティングにて我々読者の前へ再び現れた丹波大介が 此度は一体誰の為に働くのかと言えば 太閤子飼いの筆頭で在りながら関ヶ原の合戦では東軍に属し 地元:九州にての大功が認められ 今や肥後54万石(作中説)の大大名と成った 加藤主計頭清正 なのであった。
――にやり。とせずには居られない(笑)。なるほど では表題『火の国の城』は 天下に屈指の名城:熊本城を指すのであろう と早速に合点がゆく。更に 生前継父が好きな武将に 先ず「加藤清正」と挙げたことを淡く想い出す。
だが作中 清正も熊本城も 想うより出番は少ないのだ。例えば『真田太平記』に於ける真田安房守昌幸公と真田忍び頭領:壺谷又五郎ほどには 丹波大介と清正とが密に疎通する訳ではないし あの実戦的な熊本城を舞台に丹波忍びが大いに敵方と攻り合う訳でも 無論其処で決戦が行われる訳でもない。仮に此を映像化するとしたら 脚本家は大々的に此処を加筆するだろう そのくらいの淡泊さである。
でありながら 清正と熊本城との存在感は決して淡泊などではないのである。ファンにとっては 丹波大介のような忍びがどのような御仁にならば身命を賭するのか 又熊本城という城がどのように堂々たる建築物なのか 其れを建てた清正がどれほど築城の名手なのか 其の手法を誰から受け継いだのか――そのような前知識は改めて吹き込まれるまでもない。無論その通りではあるのだが 特に 熊本城が清正の精神の象徴として 即ち此の物語を貫く主題として作品の根底に静かに横たわって在る様は いつもながらの安定感にて美事である。其の意志の厳然は 言うなれば『真田太平記』に於ける「真田伊豆守信之公」といった処だ。
――きっと。
作者は熊本城を訪れ 先ずは万民と等しく大いに圧倒されてから 「清正は何を考えながら此の城を建てたのか」 洋々と想いを馳せたのだろう。読書を進める間中 僕には其の姿が観えるような心地がした。作者が抱く其の畏怖と敬意が 清正と熊本城とに一体と成って 作品に横たわったのだと惟う。手法云々以前に そういう作者の 対象への敬愛が 此の作品の安定感を生んだのではないだろうか。
最後に 具体的な感想を二,三挙げておく:
池波作品の中でも特に読み易い忍びモノであった。本来忍者小説には部外者で在る僕にとって 例えば『真田太平記』のように細々と延々と忍び働きが語られるような類は 正直 読み進めるのに時折苦痛を伴ったりする(苦笑)のだが 此方はノッケからテンポも上々 スルリと読破出来た。前述通り此の作品は 一連の池波忍者小説と併せれば長大且つ雄大な連続作品と見ることも出来るのだが 此の二巻が初めてな読者にも全く違和は無いだろう。
けれども もしも彼等に超人的完璧無比な忍び働きを期待するなら 一寸注意は要るやも知れぬ。主人公はじめ 我らが眞田忍びの象徴として登場する奥村弥五兵衛なぞも 平気で何度もドジを踏む(笑)。いや主人公自らが 私事から仲間を死に追いやるという失態を演じて隠さない。尤も 相手も伊賀/甲賀の優れた手練達(此方も他作品では主役を張った身だそうな)であるから 「ドジ」と言ってもそのレベルは高いに違いないが。
情に負け 色に負け 窮地に嵌り 仲間を巻き添えに戻って 尚赦される――機械的/サイボーグ的忍者とは正反対の 謂わば “池波忍者” の特質が色濃く著された作品と言えよう。きっと 数年前「肉に弱いだけだ」と僕から投げ出されてそれきりな 『忍びの風』で作者が著したかったのも其処だったのだ と今回は思い至った。
『真田三代記』土橋 治重
真田三代、昌幸・幸村・大助があらん限りの知略・奇略をもって、時の権力(徳川家康)に対抗する痛快歴史ロマン。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好晴海入道らの奇想天外な活躍で明治末から大正期にかけて爆発的な人気を呼んだ『立川文庫』“真田編” のネタ本『真田三代記』が、土橋治重の名訳でよみがえる。
以前こちらの記事の文中で触れたきり 本自体の紹介が未だだった。
僕がこれを古本屋の書棚で見つけたのは 2004年だったと想う。未だ眞田家に真っ新な新参者で 大著『真田太平記』の読破をやっと想い描くようになった頃だ。正直 その “大著読破” の前哨戦的心境で読んだものだが 振り返ると この書の成立背景/性質から言って 実は僕の本棚に特異な一冊だった。
作品は 明治31年博文館発行の『校訂真田三代記』を著者が抄・意訳し 各章・各項目毎のタイトルと各章末の注釈とを新たに補った物である。途中 原文の引用もあり 当時の雰囲気を垣間見ることが叶う。「昌幸―幸村―大助」を「真田三代」とする一族の歩みが 大坂夏の陣を中心に実質300頁に纏められ 薩摩:島津家へと落ちた幸村と 彼に擁され共に落ち延びた豊臣秀頼の病死でもって締め括られている。
著者に拠れば『校訂真田三代記』自体が作者不詳であり 徳川幕府体制下にて(秘密裏に)写本により継がれてきた経緯から 史実の記録としては甚だ信憑性に欠けるのは言うまでもない。これは寧ろ 幕府支配の下に鬱屈していた「日本国民による記録文学」と称ぶのが適切だろう。証拠に この『校訂真田三代記』を底本として刊行された『立川文庫【真田編】』は 更に国民の熱望を反映した形をとって 読者の熱烈なる支持を受けた。ここで歴史的信憑性や文学的技巧を云々するのはナンセンスというものだ。又 如何に『立川文庫【真田編】』の底本だからといって 此に真田十勇士の活躍を期待するには少し無理があろうかと思われる。ここには その萌芽が数多蒔かれてある と言うのが適切だろう。
真田家は木曽義仲の家人:幸氏の頃から既に甲斐武田家に仕えていたとされ 幸隆公は幸義の一子で幸氏から十余代後の末孫である。昌輝公は正室に 昌幸公は側室に産まれた子とされているが 信綱公に関しては記述がない(なかったと思う)。
個人的に面白かったのは やがて家督を継いだ幸隆公と 既に信虎を追放して当主の座に就いていた晴信公とが当初不仲であった という解釈。幸隆公は「あの親不孝者め」と軽蔑を隠さず それを晴信公が「わしを軽んじる不届者」として真田家征伐(!)を考えている。ここに 飯富兵部の紹介と小山田備中の説得から武田家に仕官することになった山本勘介が絡む。二人には 勘介が流浪の身で在った頃 幸隆公の評判を聞きつけて館である岩尾城に訪ね 意気投合して十日剰りを共に語らい過ごした という経緯があった。晴信公から真田征伐を申し付けられそうになった勘介は仰天し 晴信公を説いて 逆に橋渡し役として幸隆公を再訪する という筋である。そして勘介の「共に合戦で腕試しをしたい」と言う熱意に打たれ 幸隆公は武田家への尽力を決心するのである。
――すると 今年の大河ドラマ『風林火山』にて 武田家仕官以前に勘助が幸隆公との知遇を得ている という設定は 強ちあり得なくもない訳だ。案外この辺りから採った話かも知れない。
『謀将 真田昌幸(上)』南原 幹雄
敗亡した一族再興のため武田信玄に仕えた真田幸隆。六文銭を旗印に、信濃経略の野望に燃える信玄の謀将として頭角を表わす。その父の志を継いで、昌幸は戦国の争覇戦に乗り出し、真田家の独立を目指す。類いまれな軍略と奇謀。「不惜身命」の四文字を家訓に戦国乱世を生き抜いてゆく幸隆・昌幸父子を描く、渾身の大型歴史巨篇。
この上巻は『謀将 真田昌幸』に非ず ズバリ『謀将 真田幸隆』である。海野一族敗亡の危機に直面するところから死去に至るまでの幸隆公でビッシリ 昌幸公の本格的な登場は この巻での終章に当たる僅か数頁のみだ。上下巻という体裁ではなく それぞれを一巻完結物の『謀将 真田幸隆』『謀将 真田昌幸』として発売しても差し障りない。寧ろ何故そうしなかったのかと訝られるほどなのだが もしや幸隆公の知名度が関係したものか(苦笑)? 純粋に昌幸公のみに関する作品を求める場合には 入手前の検討が必要かと思われる。
幸隆公は 棟綱を父に 幸義を兄にもつ 海野家の次男:小次郎として登場する。早々に海野平の合戦にて幸義が討ち死にする為 実質上の嫡男として一族の将来を担うことになる。妻は羽尾入道幸全の息女であり 他説で正妻に名の上がる河原丹波隆正の妹は ここでは側妾という設定。この側妾は源太郎(信綱)以下源七郎までの全五男を幸隆公との間に設ける。幸隆公の男児が全て妾腹という設定に 初めての僕は仰天した(笑)が 正妻を次々亡くした末 幸隆公はこの側妾を晴れて正妻に迎えるという仕組みである。
海野平に敗北し上州へ落ち延びた海野小次郎である処の幸隆公は 諸国見聞の旅に出る。小田原滞在中に武田晴信公から使者が遣わされることで 武田家仕官への途が拓かれる。遣いは今話題の(笑)山本勘助ではない。原隼人正昌胤である(勘助は 川中島第四次合戦にて啄木鳥戦法を献策するまで描かれず それが唯一の登場場面だった)。
逡巡の末に甲斐を訪れた幸隆公は 晴信公との運命的な出逢いを経て 仕官を決断する。その場で改名を促され「真田」の姓を選んだ幸隆公に 「弾正忠幸隆」の名を晴信公が与えるという形で 「真田幸隆」が誕生する。併せて 新たに六文銭を旗印に採用することを晴信公が赦し ここに幸隆公の 一族再興の御膳立てが全て整う――何やら歴史上にて成立背景の不鮮明な部分を 晴信公の威光の下 一纏めに片づけられた感がしないでもないが(笑) 眞田家にとってはかけがえのない “其の瞬間” である。
それよりは 一族再興をかけ 謀略尽くめの戦略を練り進める上で 如何に幸隆公が心を痛めたかが とりわけ実父や岳父との直接対決に及んだ 志賀城・岩櫃城の攻略戦を通して 丁寧に描写される;実父とは合戦中に一騎打ちとなり 幸隆公が勝利する。岳父とは状況の弾みからやむなく開戦し これも死に至らしめる。半ば不可抗力的な経緯と結末とが語られてあるものの 箕輪城攻略まで含めれば三度も(と言うのは 先代箕輪城城主:長野業正も公の岳父(!)という設定なのである)骨肉の戦いに身を投じざるを得なかったその姿は苦悩に満ちて 後の眞田本家・分家の葛藤をも想起させる。或いはこの “骨肉の闘争” は この物語第二・第三のテーマと言えるかも知れない。それが戦国の世に在って 眞田家に特有の悲劇な訳ではなかったとしても。
その底辺に 一族再興への情熱と執念 息子達の無事の成長と子孫繁栄を願う眼差し 晴信公への忠誠と不惜身命の心意気が 幸隆公の最も鮮明な人となりを為して隈無く沁み渡っている。
残念なのは 信綱・昌輝両公が ここでも 呆気なく長篠の銃弾に散って逝くだけ で在ること。赤い月の晩に産まれた難産の逆子として 或いは「異能・異才・当主の骨相」をもつ非凡の子として また若くして名家:武藤家を継ぎ晴信公旗本に出世した有能武将として 昌幸公に一種特別の光を当てながらも 「決して引けを取らない」「一人前の武将」と筆者が幾度も形容する処の両公は 幸隆公死没から殆ど一足飛びで長篠に赴き 銃弾の雨中へ我から突撃して 言葉も無く死んでしまう。惜しむ間もなく昌幸公の眞田家復帰である。これはなんとも無情であった。誰が書いてもこうなるのかと単純に落胆する一方 これが創作色の濃い作品であろうことを振り返れば 此の部分こそ力を入れて創作することは出来なかったのだろうか と訝しくも思う。架空の女色をチラつかせるより その分其方へ頁と精力とを注いで欲しかった。‘そのようなもの’ が無くとも 読者はしっかりついてくる のだから。


























