一日一ぽち
2006-05-27 (Sat)
『竹中半兵衛〜秀吉を天下人にした軍師』八尋 舜右
目の前で剽軽な笑顔を見せる木下藤吉郎に、半兵衛は次第に心ひかれていく自分を感じていた。「この男と、もう一度戦場に立ってみるのも悪くはない。あるいは戦火の絶えた世の中が実現できるやもしれぬ」。――名利を求めず、ただ天賦の軍略の才を縦横に駆使して秀吉を勝利に導いた男、竹中半兵衛。名誉よりも人生に美学を求め、三十半ばで夭折した名軍師の生涯を描く長編歴史小説。
さほどの厚さではないのに 進めるのには存外時間を要した。
理由の第一は 半兵衛の内向性の強さ そこから生ずる内省が 死の間際まで執拗に繰り返される処にある。大軍師たる者 無論己を律することには他者に対するより厳しいに違いない そして筆者は そんな半兵衛の孤高というものを著したかったのかも知れなくても 剰りに幾度も目に見えるかたちで綴られるが為 僕にはかえって 優柔不断な・線の細い・似非完璧主義者のような――まるで自身のような――半兵衛重治像しか結ばれなかった。安寧なる天下を志して居る筈だのに 実の処は 暴虐を極めたとも映る信長の天下布武を 其れを未だ畏れることしか知らぬ秀吉を 助けて己もまた暴虐を尽くしただけである。「わが一身の非力 わが生の矛盾」――半兵衛はこの自己反駁に呵まれ続けて逝く。作中引用された 死を前に宛てたとされる前野将右衛門への書状に見られる「一人雲にのって遊ぶような気分」の行とは裏腹に まるで失意の内に逝ったような印象を受ける。
第二は 比叡山焼討ちの辺りから 半兵衛が信長への対抗心をハッキリ自覚し 且つそれを実施に移して居る点にある(以前記したように 僕は二人へ「ぬるい関係」を求めて居る(笑))。増してや信長でなく秀吉に天下を取らせるべく目論むようであれば それは半兵衛讃歌の主題である「無私無欲」どころではない。家中の誰より密かに想いもよらぬ大望を温めて居るのであり 「無私無欲」というのは特大の隠れ蓑である。そう書いてみれば これはこれで半兵衛らしい謀り事ではある。現代に於いて比叡山焼討ちに際し最も強固に反対を唱えた者として挙げられる明智光秀でさえ 未だその叛意を明確に自覚するには至ってなかったのではないか。
「あとがき」の中で 半兵衛への思慕並ならぬことを筆者は明かしている。そうした熟しきった個人の理想が このような半兵衛を産んだのかも知れない。日頃 何を考えて居るのか肚の内の全く知れない人物として語られることの多い半兵衛は この作品に於いては読者の前へ胸の内を吐露して憚らない。そういう意味では異色であり 人間味を備えた半兵衛である。型で押したような像にそろそろ飽きた向きには佳いかも知れない。
又 これまで採ったうちではどれより前野将右衛門について詳しく触れられてある。その人物像の純朴で温かなことが 半兵衛と共に反駁する僕の途上に唯一の慰めだった。軍師という立場に張り詰める半兵衛が 好意を寄せるのも道理と想われた。表情豊かに描かれた「前将」は 物語の幕引く役をさえ担っている。



















Comment
初めまして。
司馬遼太郎氏の小説に「関ヶ原」(上・中・下)というのがありますが、これはかなり読み応えがあってオススメですよ。
この小説の三成は横柄者で敵を作りやすいながらも、裏表がなく、正義感の強い人物で、少々(どころではないかも…)詰めの甘い部分もありますが、どこか生き様が颯爽としていて魅力的なのです。
もちろん、島左近・大谷吉継・真田父子・直江兼続(他にもたくさんの人物が登場しますが)などの関ヶ原を通しての人間模様が面白く書かれています。
なので、読んでみて損はないです。
>匿名希望様
司馬遼太郎氏は言わずと知れた大家ですが 僕は未だ一作も読んだことがありません。単に機会が無かったこと 歴史小説という分野が僕に真新しいことが理由ですが 何かの折には ではオススメの『関ヶ原』を選んでみましょうか。
石田三成に関しても 同様にまるで疎い身ながら 事前に我らが眞田昌幸公と懇ろに通じて居なかったらしいことは残念です。いや 頼るには確かに恐ろしい人ではありますが(笑) 挙兵自体が大博打 そして昌幸公は大の大博打好き きっと悦んで乗って来たと想います(再笑)。