一日一ぽち
眞田ブログリング
2008-05-19 (Mon)
『密謀(上・下)』藤沢 周平
織田から豊臣へと急旋回し、やがて天下分け目の “関ヶ原”へと向かう戦国末期は、いたるところに策略と陥穽が口をあけて待ちかまえていた。謙信以来の精強を誇る東国の雄・上杉で主君景勝を支えるのは、二十代の若さだが、知謀の将として聞える直江兼続。本書は、兼続の慧眼と彼が擁する草(忍びの者)の暗躍を軸に、戦国の世の盛衰を活写した、興趣尽きない歴史・時代小説である。
秀吉の遺制を次々と破って我が物顔の家康に対抗するため、兼続は肝胆相照らす石田三成と、徳川方を東西挟撃の罠に引き込む密約をかわした。けれども、実際に三成が挙兵し、世をあげて関ヶ原決戦へと突入していく過程で、上杉勢は遂に参戦しなかった。なぜなのか――。著者年来の歴史上の謎に解明を与えながら、綿密な構想と壮大なスケールで描く渾身の戦国ドラマ。
購入当初の第一印象は どうした訳か非常に取っ付きにくかった。ところが機会を改めて臨んでみたなら その第一印象を抱いたことさえ忘れてしまう。
それでも 読了までには常より長い時間を割いた。内容が難しかったから とか つまらなかったから というのではなく 極めて端正な文脈へ対峙するに当たり 此方も相応の礼節を保ち続けたからだ。
直江山城(と景勝公)の足跡を伝える作品としては 取り立てて目新しい内容ではない。殊更詳しい訳でも 新たな像が披露されるのでもない。歴史的事件で言えば 小牧長久手の戦い辺りから徳川家への降伏決断まで が物語の舞台である。直江山城を知る上で凡そ欠かせないと思われる 謂わば山場だけを綺麗に切り取って額へ収めた眺めにて 入門書としても宜しかろうという具合だ。
なので 僕の評価は実質的な内容に対するものではない。
作品には先ず大名とその家臣・忍び・剣客が登場するのだが その何れへも同等の筆圧でもって仕事が進められている様は秀逸である。著者に独自の思い入れというのが 紙面からは一切感じられない。一作読んだだけでは 此の人が本来どの分野をホームラウンドにして居るのか判らないだろう:僕には判らなかった。 “冷静” “理性” “客観” 或いは“相対” と言うのに丁度の作風である。そのクセ 例えば童子に特有のナンセンスな言葉遣いなどは 夕日に映える紅い頬が見えるほどなのだから感服してしまう。
かつて拙文の中で 「仮に新田次郎を『上手い』とするなら 池波正太郎は『旨い』」と惟う旨を述べた。倣って言うなら 藤沢周平は『巧い』だろうか それとも『美味い』か。――何れも此の書き手の文脈には華美に過ぎる表現と思われる。僕には本書が初めての藤沢作品であるが 其の均整のとれた構成と共に 丁寧に紡がれてゆく文脈の様には 軽い感動を覚えたほどだ。今 久しぶりにキチンとした文章に触れた という清々しい思いがしている。
一言で言うと 「とても丁寧に作られた松花堂弁当」という感じ。素材選びに始まって 調理・盛り付けまで途切れることなく精神を注ぎ込まれた一品ずつは 其れのみでも充分在り得るものたちである。それらが一つ箱に収められて醸す 上品で静かな 悠然たるハーモニー――そういう食後の 清楚な満足感に似ている。
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