一日一ぽち
眞田ブログリング
2006-05-20 (Sat)
早くも夏
私室は武蔵国にある。予想最高気温は28℃だと母者が寝惚け眼へ報せてきた。甲府は30℃だ と いつも通り付け加えてくれた。
御屋形様の時代にも 甲斐の天候は厳しかったろう と その度想う。先ずは冬の底冷えが浮かぶけれど なかなかどうして 夏の酷暑も国民には深刻だったのではないか。加えて基盤が痩せた土地だから 兵農分離が未だな彼の地にとって 度重なる出兵は先ず農民にとって重大な問題だったろう。そんな中で領土の運営と拡大とを図る御屋形様の労苦も多大だったろうと想われる。
けれども その苛酷なる生活環境が甲斐の人馬を屈強に育て上げたのかも知れない。「戦国最強武田騎馬軍団」なんて表現が誤ったものであることは 最早戦国ゲーム育ちな僕ですら知る処だけれど 山間に暮らし営むには 牛馬は移動と運搬とに大活躍だったことだろう。暮らしに根付いた行為だから 甲斐には巧みな乗り手も同時に多く育ったのかな と。もしも甲斐に海があり 或いは平野が続いていたなら 武田軍は全く違った性質を武器とする集団だったに違いないし 「甲斐は無い無い尽くしだ」と見極めたからこそ あの大民政家な御屋形様が誕生したのではないか。
先日 昼間の民放番組にて 御屋形様が考案したと伝わる料理の特集が組まれていた。TVっ子な母者につきあって覗いてみたところ 紹介された大半は出兵の折に重宝する携帯食の類で たとえば味噌に具となる食材を混ぜて丸めた物(湯を注げば味噌汁に!)とか 栄養価の高い胡麻やきな粉 木の実などを碾いたのを 蜂蜜で繋いで丸めた物(「兵糧丸」と称ばれる)とかいう具合だ。その知恵深さもさることながら かほどまでに限られた時間と資源との中を戦して生きることの重大さ 苛酷さを 先ずは先頭に立つ御屋形様自身が常に心に刻んで在ったのだろうことに 改めて想いを致した。半兵衛重治殿も 戦に臨む上で最も大切な事柄として 敵より多勢で臨むこと・充分な武器を揃えること・兵を餓えさせないこと を先ず挙げたと聞く。何れも至極当たり前のことでありながら 何処の当主もこれを貫徹するのには腐心した筈だ。
新田次郎氏の『武田信玄』だったか 武田の兵が白米を常食とはしていなかった(出来なかった)ことを描いた行があった。当時 携帯する食材は各自最初の数日分だけで あとは攻め盗った土地にて随時現地調達というのが遠征のスタイル。その晩の武田軍も例外ではない。駿河辺りだったか 周辺の農家から調達したのは白米だった。雑穀を主食として生きてきた彼らには そのような物は口に運んだこともない 正に白く輝く御馳走だったことだろう。先を争うように掻き込んだが 食後ほどなく異口同音に言い始める:「白い飯は なるほど確かに美味い物だが さて腹持ちが悪くてならぬ。もう小腹が減ってきた」。
これをネタに敵方は武田軍を「田舎武者」「山猿ども」と嘲笑するのだけれども 同時に だから武田の兵の粘り強いことに思い及んだ者が 一体どれほど在っただろうか。今や 玄米や五穀米は 健康食として白米より高値なほど。より少量の糧にて より長時間の空腹を補うとは 些細なことながら日に二度三度と繰り返される事柄だけに 兵の質を左右する侮り難い要素だと思う。



















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